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小学生の頃までは、健康に暮らしていたワタクシ。
病欠だって片手に収まる程、1年間であるかどうかという程でしたし、風邪をひいたところで長引く事もなく、特にあそこがどうの、ここがどうのという事はありませんでした。 中3の春にDMだという事が判って以降、すっかりヨワな人という印象を人様に与えまくる生活になってしまいました。 しょっちゅう学校も仕事も休んでいたからね。 以前はDMだという事がとても受け入れ難く、無理に抗って状態を悪化させる事も多々でしたが、随分大人になってから漸く、それも自分だという風に、受け入れられる様になりました。 病気の所為で色々ありましたし、色々云われましたし、やはり『何で私が・・』という風にも思いました。 けれど、悪い事ばかりではないなぁと、今は思う次第。 弱さは人の痛みを知るきっかけにもなったし、ネットを通じて同じDM仲間や虚弱ッキー仲間も出来たし。 そういう意味で、この体には感謝しております。 健康な人が送る健康な生活というモノを、ワタクシは随分前に手放す事になってしまったけれど、そして見える景色が随分違ったものになったけれど、そこからしか見えない世界を、ワタクシに教えてくれました。 薬ナシには生きられない体になってしまったワタクシでありますが、これからもよきパートナーであって欲しい。 共に生きていきましょう。息が続く限り。 − No : 29 −
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比較的、素直な方かも知れません。
自分の心の声にはすぐに耳を傾けるし、すぐに行動に移すし。 でもアレか。 素直さと甘えとでは大きな開きがありますよね。 そして戀子の場合は、きっと甘えの方が大きいと思うのです。 「あー、面倒くさいなぁ。やめちゃおっかなー」 とか。 「あー、疲れたなぁ。またにしよっかなー」 とか。 えぇ、割りと多いかも知れません。 お他人様からしたら、3割も4割も増しているかも知れません。 基本的に、好きなモノや事以外にはまるで興味を持てないワタクシ。 好きなモノを得る為には、自分の心に限りなく素直ですよ。 好きな人であっても同じ事で。 いっちゃえ!やっちゃえ!的。 オラオラなんです、基本的に。 動くギリギリまでは結構悩むのだけれど、悩んでいく内に面倒臭くなってしまうのですよ。 結局、考えてもどうどう巡りなだけで、一向に答えが出て来る訳でもなくて。 だったら、動いてしまえ!っていう。 動かないでする後悔なら、動いて悔やむ方が万倍良いし、ふと聞こえてくる心の声は、指令みたいなモノではないかと。 突き動かされる様にして動いたりすると、意外に良い流れが待っていたりしてね。 自分自身にも多くの嘘を重ねて来たその昔。 大人になってから思うのは、とにかく素直にあろうという事。 誰の為でもなく、自分の為に。 − No : 28 −
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色恋に限らず、愛は色んな場所にありますよね。
友愛だったり、家族愛だったり。 暗い中にあった時、人は誰も自分を見てはくれないし、一生愛して貰えないんだと。 そんな事をずっと思っておりました。 友達はいても、いつかは離れて彼氏が1番になってしまうだろうと。 家族はいるけれど、そこにある『愛』は当たり前のものだと。 ・・それにしても、戀子の思春期はどんだけ暗かったんだ・・ この揺れも、思春期特有のそれとして在る姿とでも云うか。 宇多田ヒカルの母、藤 圭子がその昔、♪15、16、17と、私の人生暗かった♪と歌っておりましたが、当にそんな暗い思春期の心。 それはさて置き。 当時は、男子から受ける好意のみを『愛』だと勘違いしていたんですよね。物凄く狭い括りでの愛。 でもコレが何より欲しかったのかも。お年頃でしたからね。 そうは云っても一応、戀子にも彼氏がいたんですよ。1歳上の先輩でね。 でもこの人。今にして思えば、相当なオコチャマだったんですよ。 1歳上だというだけで、当時は大人だと思っていたけれど、実際に付き合ってみて気付くオコチャマっぷりと、そんな筈ではないというジレンマとで揺れ動く乙女。 嗚呼、学生時代の1歳、2歳のなんて大きく感じる事よ。It's 学生マジック! 2人が所属していた部活の部長だった彼は、単に自分が弱っている時にヨシヨシして貰いたかっただけで、戀子に気持ちがあったかといえば、実は然程なかったんだろうと思う。 少なくとも、戀子が求める類いの『愛』は、彼は持ち合わせていなかっただろう。 誰からも愛されない戀子は、誰からも愛される資格はないのかも知れないと。 そんな風に思っておりました。 でもね、戀子を慕ってくれる女子の友達はホントに多かった。 そこには確実に『愛』があったと思う。 友情ですな。 そして包み込んでくれる家族もあった。 色々と問題の多い家庭ではあったけれど、家族愛だけは深かった。 そういう事に気付くのは、随分後になってからの事でしたが。 戀子が激しく求めていた、男子からの愛。 最初の彼氏から、一路と出逢うまでの期間。 彼氏は何人か出来ても、戀子に愛を向けてくれる男子にはずっと出逢えませんでした。 随分大人になってから戀子の元にやってきた一路は、きちんと愛してくれる人でした。 一路は、耳ざわりの良い事は云いません。 悪い事はちゃんと悪いと、良い事はちゃんと良いと、しっかり伝えてくれる人であります。 それは、愛があるから出来る事。 どうでも良い人にわざわざ嫌がられる様な事を云う人などいないでしょうし、どうでも良ければ無関心であれば良いだけなのです。 中途半端な優しさは、かえって苦しいだけ。 切腹する時、一思いに死ねる様にと首を落とす介錯人は、本当に優しい人。 そんな優しさを一路は持っているのです。 愛を知っている人なのです。 今の戀子の周りには、色んな愛で溢れております。 過去に帰る事が出来るのであれば、思春期真っ只中の戀子に教えてあげたい。 アナタの周りには、ちゃんと愛があるよと。 そしてアナタにも、愛してくれる人が現れるよと。 戀子を愛してくれている全てに感謝。 戀子も全力の愛で返したいと思っております。 いつか、届いてくれるだろうか。 − No : 27 −
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今の人生をまっとうして、新たに生まれ変わるのだとしたら。
子供の頃から思春期にかけては、今度生まれ変わるなら絶対に男子として生きたいと強く思っておりました。 当時(や、今も変わらないけれど)、自分の容姿に対するコンプレックスがめっさ強く、普通の女子の様におしゃれを楽しんだりする事なんて、到底出来なくて。 鏡を見るのも写真を撮るのも嫌でしたもの。そうする事で、より酷くなって行く事に当時は未だ気付けなくてね。 男子だからといって、容姿がどうでも良いかといえば別なのですが、当時はとりわけ、女子は圧倒的に外見の可愛らしさ・美しさで判断されると思っていたのですよ。 知っている人、見知らぬ人から色んな事を云われたし、『人間、見た目ではない』と云っても、そんなのは綺麗事だと思っていたし。 激しい『女子』への憧れが、真逆の方向に向かっていってしまったのね。 それが、二十歳を過ぎた辺りからでしょうかね。 色々と頑張って、思春期のピークの頃からしたら10キロ程痩せて。 それでもデカイ事に変わりはないのだけれど、多少服選びが出来る様になって。 楽しくてね、それが。 思春期の頃、容姿のコンプレックスから相当卑屈になっておりました。 太っているなら太っているなりの見せ方や可愛らしさを追求するだけの、そんな前向きさがあればよかったのにね。 勿体無かったなぁと思うのです。あの期間。今だから思えるのかも知れないけれど。もっと色んな事が出来た筈。 なので、次に生まれ変わったら絶対に女子で、女子らしい生き方を思う存分に楽しみたいと、しみじみ思うんですよ。 体型は根性でどうにでも変われると思うんだけどね。 三十路の根性ナシのこの体、今は薬の副作用も手伝って、相当ヤバイのでね。 ああ、20代の頃と同じ事をしても、新陳代謝がまいっちんぐな三十路には通用しないんだな。 生涯、美しくありたいと願う三十路の乙女。 ・・1度、痩せた体を見てみたいもんだ。 そんな、遠い果ての生まれ変わりもさる事ながら。 内面的に『生まれ変わりたい』自分の姿。 戀子は本当に打たれ弱いのです。 根性ナシなのです。 少々の嫌な事でへこたれてしまうこの根性を、どうにかしたいとつくづく思う。 本当に好きだったり、手放したくないと思うものに対しての粘着っぷりは物凄いのですが、例えば仕事だったり、面倒な人間関係だったりには、この粘着がまるで働かないのです。 割り切って環境に馴染めるだけの心と体を作っていきたい。 そして今は、それを変えていこうと頑張っている最中だったりします。 性格は変えられないというけれど、性格なんて幾つになっても本気で取り組めば変えられる。 甘さに負けないで、ずっと変わり続けていきたいと思うのです。 頑張れ、俺っ!! − No : 26 −
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昔から口下手で、想いを伝えるのがとても苦手でありました。
緊張しちゃって、クラス発表なんてのはもっての他でしたし、普段の会話であっても、話すって事がどうにもこうにも。 それは今も変わらず。 口で話すよりは、こうして文章で表す事の方がどちらかといえば得意で、自分の気持ちを表現する場として、子供の頃から日記を書き始めたり(勿論、子供の頃には『自分の気持ちを表現する場』という認識はまるでなかった訳ですが)、友達や好きな人に手紙で想いを綴ったりしておりました。 すっかり不精になってしまったけれど、今でも時々、手紙を書く事があります。 けれど、どんなに拙い言葉たちであったとしても、きちんと口で想いを告げた方が良い場合も、多々あるのではないかと。 それは、実はここ数年で思う様になったのですがね。 うん、気付くのがすっごい遅いですよね。ウヒヒ☆ 放つ言葉に想いを乗せて、声音に熱を帯びさせて、相手に伝える。 言葉を発する事はた易く出来る行為ではありますが、そこには責任も伴う訳で。 こうして今、綴っている言葉たちにも、それは当てはまる訳で。 無責任に投げた言葉は、無鉄砲に投げられたナイフ程の切れ味で、向けられた側に突き刺さると思うのです。 想いを伝えるのも、それを受け取るのも、感覚が全てではないかなぁと。 一生懸命、口や文章で想いを伝えようとしても、届かない想いはたくさんあります。 それは表現出来ていない事になるのでしょうか。 うーん、正直、判りません。 相手に伝わらなければゼロかと云えば、決してそうではないと思ったりもするのです。 シーンによるんだろうな、単純に。 話は少し変わり。 よく『云わなくても判るでしょう』というアレ。 アレはいかんな。特に色恋の場ではな。 『いや〜ん、云って!云ってっ!!』とのた打ち回る女子は、決してワタクシだけではない筈だ。 態度や行動を見て判ってはいても、きちんと言葉にして欲しい時だってあるのですよ。 イタリア男ほど、饒舌でなくていいのですよ。程よく出してくれたら、それだけでキュンキュンだ。 想いを表現するのは難しいですな。 それは決して、言葉だけに限った事ではないと思うのだけれど。 − No : 25 −
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